部下などを評価する際に、対象者を見誤ることでおきるハロー効果や中心化、寛大化など様々な評価者エラーというものがあるが、人事考課(評価)という場面では注意できることはあっても、日常的に意識することは経験や余程の考えがないとなかなか出来るものではないのかもしれない。
僕が課長職だった頃。あまり大きな会社でもなく、部署も10名くらいのサイズで、部下は正社員が1名、派遣社員が1名という構成だった。ある時、その派遣社員の方が家庭の事情で退職することとなったため、新たに一人雇うことになりました。
色々な人を選考した結果、偏差値70overの有名大学を卒業したいわゆる高学歴で、年齢もいくつか上のAさんを採用することとなりました。
僕は20代で課長になっていたことから、そこそこ実務には自信がある一方で、いわゆる低学歴だったのでちょっと学歴に負い目を感じているところがあり、自信と不安がない交ぜな状態だったと思います。
Aさんはどちらかというと寡黙で、言われたことをしっかり理解してやっていきたいタイプで、わかった/わからないというのをすぐに表現する感じではありませんでした。
僕もそれを一応感じていたので順序立てて一から教えていくように対応していました。ただ、僕はAさんに教えながらも学歴や年齢からくる経験などを自分の中で必要以上に大きく捉えているので、教えた際の反応が薄かったとしても「これくらいすぐにわかるはず。」と考え、確認や理解度を図ることを怠り、段々と説明を省略し、余る時間も本人に任せるようになりました。
もちろんその時は、ある程度教えていて、余裕も与えているので、マネジメントとしてはこんな感じでも問題ないと考えていたように思います。
しかし、この掛け違えは時が経つに連れて距離感が大きくなり、相互に信頼感が得られないと実感するようになっていくことになります。
Aさんに対する言葉はどことなく遠慮がちになり、次に僕自身が自信のない感じが漂いはじめ、最終的には少し恐怖心も芽生えてしまい、振り返った感覚では教えるべきことや言うべきことも言わなかったような気もします。
少なくともAさんからすると上司から放置や敬遠状態にされていると感じていたと思います。
当然ながら、その状況が長く続くわけはないので、Aさんは退職することとなりました。
退職の意思を告げてもらう際、この距離感や信頼感を含めてうまくコントロールできなかったことを伝えてましたが、その時は自分でもうまく整理がついていかなったので、謝った感じになったのか、何か言い訳がましい感じになったのか、あまり状況を掴めないまま終わったように思います。
正直、今思えばつくづく馬鹿らしいというか、大人数の部署で目が行き届かないのであればちょっとは同情の余地があるのかもしれないが、2名のマネジメントで失態というほかないと思います。
まずもって根本にあるのは、学歴や年齢を気にしたあまりにその人を等身大で感じることができず、その人の求めることや状況が全く掴めなかったところかと思います。
そのうえで、20代で課長となりちょっとした自信があるとはいえ、中小企業でポジションを得るのは自己流なことがとても多く、拡大化したAさんの偶像から「業務ができていないじゃん」という指摘がされるのではないかというのが、最終的に恐怖心が芽生えることにつながったのかと思います。
人は言葉を交わさないと距離が遠くなる傾向があると思います。しかも、信頼より疑念の方がすぐに大きくなると思います。もっと言うと、信頼が疑念に変わることもよくあると思います。
これは物理的な距離によるおこる場合もあれば、近くにいてもコミュニケーションができていない場合の距離も同様な気がします。
最近はテレワークなどでチャットツールも進化していますが、オンラインでの会話ならまだしも、どうしても書かれたものでは伝わらない温度感やニュアンスによって形成される何かが欠落してしまうことによるものな気がします。
僕は近くにいながら距離を取ってしまい、不安を膨らまし、膨らんだ不安がさらなる距離を生むという悪循環に陥ってしまったわけですが、不安や自信がない時こそ、人の正面に立って、正直にコミュニケーションすることがシンプルな打開方法であるということをこの後数年かけて気づく経験だったかと思います。
若気の至りや経験不足ということであっても、人のキャリアに影響を与えたことに変わりなく、最後に伝えられなかった気持ちを抱え、今後も歩んでいきたいと思う。