部下の成果は60%×2で想像しておくのがちょうどよい

管理職

部下や後輩を持つ立場に限らず、外部への委託も含めて自分以外の人に仕事をお願いすることはよくある。

もちろん計画や設計が事前にあって明確に出来上がりがわかるものであれば、その違いについて修正して完成に近づけることができることかと思うが、大体の場合、概要やニュアンスでもって仕事を依頼してあがってくるのを待つことになるのかと思う。

特に管理職が部下に対して行う日々の指示は、その要素が多く含まれているのではないだろうか。

管理職になる多くの人は、自分がバリバリに成果を出しているからこそ役職に任命される場合が殆どで、部下を持った際に、自分のやってきたことと比べてその成果を図ることから、部下の質によっては良い成果になる場合もあるかもしれないが、恐らく半分以上のケースではその成果に対して不満を感じているのではないだろうか。

もちろんこれ自体はよく聞く話しでもあり、また、元々仕事ができる人なので、部下にそこまで望まないフィルターを自然と認識して、想像している成果に対して60%70%くらいに割り引いて評価したり、場合によっては妥協をしてなんとか部やチーム全体のバランスでもって成果に結びつけていることであろう。

・・ふと思うが、自分もこういった経験があってこの記事を書いているのだが、そもそも自分自体が60%に割り引いて当時の上司から見られていて、管理職になったときも妥協の産物だった可能性は大いにある。管理職というのは、会社や周囲の状況によってポジションが必要となる場合に任命されることが多く、その時たまたまということがよくある。
もちろん自分では「やった感」が満載ではあるが。。。

話を戻すが、個々人に対しては60%の成果を出させつつも部署全体としての成果を果たしていくのが管理職の役割である。

部署の成果を出さなくてはいけないのに個々人に対して60%ではなく100%を求めて行けば良いじゃん。となりそうだが、実はこれは極めて難しい。なぜなら、人は自分ではないので、全てを理解することもできないし、かつ、人にはそれぞれ強みや弱みなどの個性があって一定ではないため、属する全ての人を管理職の想像通りに動かすことは到底無理がでてくる。もしかしたら短期的には可能であるが、事業は継続が前提なので、人の入れ替わりや環境の変化を受け入れながら、年単位でやっていくことは困難である。

余談ではあるが、スポーツ競技の監督で、3年を超えてTOPの成果を出し続ける、例えばリーグ3連覇を果たして4連覇などを実現している人は稀少ではないかと思う、それもこの個々人に100%の成果を出し続けさせるというロジックに関りがあるように思っている。

で、本題なんだが、明確な人数はわからないが部署の人数が一定以上に増え、部下の下に部下や後輩などが増え、自分はいわば部長的なポジションになったときに、この60%の目線をさらに60%に割り引いて部署全体を見渡すのが程よい感じではないかと思う。

もちろん36%の成果で良いかっていうとそうではないのだが、部署全体をバランスよく見ていくなかで、一か所に集中していくこともまた無理があるので、それぞれの中間職が60%くらいの成果を出してくれるのに任せて、細部にこだわらずに(言い過ぎかもしれないが)成果を求めずにいたほうが組織構造が健全でいられるような気がしている。

仕事は言わば持久戦である。そのためこういった考え方や心のゆとりが必要になると思う。

これをベースにしつつも、組織としては成果は求められるのは当たり前なので、やる時はやるという何かここぞの場面では全体を活気づける要素が必要になる。つまり、60%を求める時、30%でも良い時、瞬間的には120%になる時もあるといった感じで、60%くらいの個々人の足し算がいつの間にか組織としては100%にする必要がある。

そのためには、管理職は何をもって組織の成果が100%なのかを日々考えなくてはならない。ちょっとずるいが100%の設定自体を甘くする方法もある。個々人の成果はもちろん重要なことだが、何を取って何を捨てるか、見極めて組織運営する必要があるのかと思う。

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