マネジメントはどの程度「礼儀」について考えておくべきであろうか

自己マネジメント

たまに「礼儀」について考えることがある。

形式的なことは僕も苦手で知らないことも多いと思うが、人に対して抱く礼儀については結構気にすることがある。なぜなら、マネジメントは人を動かすのが仕事であり、礼儀もって接すると人が気持ちよく動いてくれる要素の一つになるからである。

礼儀以前の話にはなるが、人が仕事をするうえでは「動機」がかなり重要な要素である。当たり前だが仕事に対する動機があれば自然に動くし、逆に動機がないと動かず、思うように成果がでないことになる。

さらに掘り下げると、動機は、その人が入社して配属された部署、職種、やらなければいけない役割などを「認識」することで動くベースができ、加えて、教育や日々のOJTでその認識を補っていくことになる。だが問題は、人によってこの認識というのがまちまちで、仮に仕事を振っても受け入れる/受け入れないということが発生する場合がある。

マネジメントととしては部下それぞれの認識が、今どこにどの程度あるのかを把握しておかないと、うまく人を動かすことができないことになる。

認識は、その人の普段の仕事ぶりをみたり、成果をみることである程度把握できるのかと思うが、もちろんその認識を変えていくことは、教育をするということなので簡単なことではない。

そこに加えて、その人のパーソナルな情報、例えば、仕事を通じてなりたい将来像や目指しているもの、あるいはライフワークバランスや生活価値観などを知ったうえで、その普段の仕事ぶりと掛け合わせてみていき、動機の所在を探っていくことになるかと思う。

マネジメントは極論を言えば、社会情勢、事業環境、仕事場の環境、人の状況を常に追って、自ら(の考え)も変化し続けるものなので、マネジメント対象者の動機の所在も感じ続けなくてなならない。

ただ、こういったことを日々継続していくことは、経験値があってもなかなかできることではないので、マネジメント側が動機や認識を感じるアンテナを張れない場合でも、少しでも受け入れてくれる素地を作っておく必要が出てくる。

この素地を作る際に、一つの要素として「礼儀」があると思う。

受け入れる/受け入れないという微妙な加減は、実際はかなり人間的な要素で変わることがある。もちろん絶対的な領域におけることではなく、まあこのくらいならいいか。の部分においてということである(決して受け入れないものを変えることは困難である)。

礼儀は、マネジメントする側のそれぞれのキャラクターによって、他人にそれと感じさせるものなので、これも例に漏れず考え/感じ続けるものだと思う。

例えば、「ありがとう」の言い方一つにしても本当に伝わったかどうか、その結果を見極めて、適時適切な使い方を学ぶ必要がある。マネジメントは上に立つ場合が多いが、どんな場合においても根底にあるのは敬意を持っておけるかどうかであり、様々な立場の人に対して礼儀を示せるかは重要になるだろう。

当然、聖人君主ではないのでそんなこと完璧にできることはないのだが、こういったことを考えておくことで、マネジメントとして結果はもちろんのこと、自分の成長にもつながっているものと信じたいと思う。

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