『お前もっと本を読んだ方が良いぞ』会社員として働きだしてからしばしば耳にしてきた。
もしかすると最近はあまり聞かなくなってきたフレーズでもありそうだが、現在40~50歳の世代では、自分が言われたり、人が言われているのを聞いたりする機会は多かったように感じる。
僕は昔から本を読むという習慣があまりなく、特に自己啓発のために本を読むというモチベーションをどうやって持っていいのかわからなかった。
しかも、どういうわけか『本を読め』と言ってくる人は、何やら読んでいることが正しい生き方と言わんばかりで、月に何十冊も読めることが自慢気でもある場合も多い傾向にあった。
そんな感覚で聞いていたので、正直、はじめは反骨心が芽生え、
・本を読むと仕事ができるようになるのか?
・本を読むとすぐに成長できるのか?
・自分の評価や給料が上がるのか?
そして挙句には、本を勧めてくる人が本を読んだ結果人間として凄くなっているのか?wというひん曲がった考え方になっていたこともあった。
ただそんな僕でも、ずっと否定的でいるわけではないので、時とともに視野が広がり本に対しても肯定的な考えになり、興味があるものや気が向いた時には自ら本を読むようになってくる。
僕の場合は、いまだにスラスラと速く本を読み進めることはあまりなく、特にフィーリングの合う本では、著者の真意を考えてみたり、読んだ内容を自分事に置き換えてみたり、ゆっくり時間をかけて1冊を読み、できれば何かしら行動に移せるように自分の考えの中に取り込んでいくようにしている。
実際、この「自分の中にヒトの考えを取り込む」というのが、自分が過ごしていく時間の中でさらに熟成され、大きな経験の糧やその後の成長に繋がっているような気がする。
本を勧める人は往々にしてこの自分が得るものの大きさを体験することによって、特に若い子に対していろいろ言いたくなるのだろう。
人は年齢とともに素直さが減り、自分の考えに固執してしまったりする、本来、良く見聞きしていれば柔軟性を持って行動できるが、普通はなかなかそうはいかない。正直言えば今でも素直になれない瞬間はままある。
極論となってしまうかもしれないが、結局社会で生きていくことは、ヒトの考えを知り、その中で自分を見出していく必要があるように思われる。
もちろんずば抜けた何かがあって、周囲を気にせずに生きていく人もいるが、もしかするとずば抜けた人こそ一般的な考えをよく知ったうえで同種にならないように自分を見出している人なのかもしれない。
本は、ヒトの考えを知るうえで有用なツールと言えるだろう。自分で選んで、お金を払って読むからには、素直に受け入れられる可能性がより高くなり、人生を豊かにする源泉を生み出してくれる。
ただ、ヒトの考えを知ることは、本に限る必要もない。活字であればWebにいくらでもあるし、そもそも字にも捉われなくていい。テレビでも映画や動画でもいいし、もっと言えば身の周りの「もの」を考えてみることでもヒトの考えを知ることができるだろう。
例えば、僕がこの文章を打っているキーボードを見て、なぜこのキー配置なのか、なぜこの大きさなのか、なぜキーが少しずらしてあるのか、作った人は何を考えていたのかって考えていけば、それがヒトの考えの結集であり、知る学びである。(プラスしてWebで検索するともっといいのだろう。)
本が他のコンテンツより優れているのは、文字を頭の中で具体的なイメージに変換し、その先で感情にも働きかけられ、自分のイメージはすなわち自分自身であるため、そのまま頭の引き出しに入れられる。ヒトの考えを吸収するための流れが非常にスムーズなため、僕も今となってはお勧めする側となっていることは否めない。
時代が進むにつれ、本以外のコンテンツでも代用できるものや情報が増えてきたので、その特徴やお勧めする人の趣味思考を加味して、強要せずにwヒントを与えてあげたいものである。